こんにちはKJです!
2018年4月末にフィリピンの首都、マニラにある「慰安婦像」が撤去されたことが話題になりましたね。
2017年12月に設置されたマニラの慰安婦像ですが、一度設置された慰安婦像が撤去されたのは初めてのことで、フィリピン政府も主導で動いてくれ、日本でも賞賛する声もあがりました。
そして、今回2018年12月28日に設置された慰安婦像が2日後の30日に撤去されたことが報道されました。
色々気になることが多いですが、今回は
- フィリピン慰安婦像の設置場所や撤去理由
- フィリピン慰安婦像の撤去に対する海外の反応
などについて調査しました!
フィリピン慰安婦像の1回目の設置場所は?

引用 産経ニュース
さてまずはじめに話題になったのが、2017年4月にフィリピンに設置された慰安婦像ですね。
慰安婦像の設置場所はフィリピンの首都マニラです!
こちらは政府機関である「フィリピン国家歴史委員会」が、現地の中華系団体などの支援を受け、慰安婦像を設置したとのこと。
このマニラの慰安婦像の問題は議論を呼び、国内でも話題になりましたね。
慰安婦問題は韓国絡みで問題になることが多いですが、フィリピンでも戦時中に日本軍がフィリピンの女性を慰安婦として扱った、という情報もあります。
日本もこの事実を受け入れ、サンフランシスコ平和条約にてフィリピンに賠償金を払い、その後も、1995年に日本軍占領下に慰安婦だったという女性らに「償い金」という形で一人320万円ほどのお金を支払っております。
一応この形で問題は収束した、とみるのが一般的な見解です。
しかし、日本とフィリピンの国家間で一応は解決したとされる慰安婦問題をぶり返すような像を設置されるということに対し、日本でも反発がありました。
その勢いでフィリピンに建てられた慰安婦像も撤去してほしい。
— パピコ (@6WokZz4BzqAFxnu) December 18, 2017
フィリピンが慰安婦像(マニラ)を破壊し撤去!理由や経緯は?
さて、国内でも多くの反発があったマニラに設置された慰安婦像ですが、2018年4月に破壊され、撤去されました!
当時のフィリピンを訪問した野田聖子総務相が、マニラでドゥテルテ大統領と会談し、「日本にとって慰安婦像設置は残念な事実である」旨を伝えています。
その際ドゥテルテ大統領は「対処する」と述べていたので、慰安婦像撤去はフィリピンが日本の主張を受け入れたからだと考えられます。
(市の関係者は「下水道の改良工事のため一時的に撤去した」と話していたようですが、、)
これには国内でも良くやったという声が多くあがり、Twitterの意識調査では97%の人が「ドゥテルテ大統領を賞賛する」という意見だったようです!
全国のtwitterの「意識調査」の結果
フィリピン政府が首都マニラに設置された「慰安婦像」を
撤去しました!
4月29日~3日間
質問「ドゥテルテ大統領の英断で、快挙だ!と賞賛しますか?」投票総数、6,048票
賞賛する 97%
賞賛しない 3%ドゥテルテ大統領が「日本を侮辱すべきでない!」 pic.twitter.com/BsC7mQ7RZv
— 「ネット保守連合」事務局 たかすぎ (@nihonjintamasii) May 2, 2018
フィリピン慰安婦像撤去に海外の反応は?
さて、この慰安婦像撤去に日本国内は賞賛の声があがっていたわけですが、海外の反応はどうだったんでしょうか?
調べてみると少なくとも現地フィリピン人は日本と同様に「撤去を歓迎する」という意見が多かったようです!
フィリピンへの日ごろの援助もあるので、どちらかというと日本寄りの意見を持っている方も多かったみたいですね。
しかし、中華系団体は撤去に対して、フィリピンを非難するような意見が多くあがっていたようです!
元々マニラに設置された慰安婦像は、中国系団体の助言の下に設置されたものなので、批判されるのはまあ予想はできますね。
慰安婦像撤去に関して、中国のネットユーザーからは、
- 日本の東南アジアでのイメージは中国より良いから
- 日本が金を積んだのだろう。ドゥテルテは金を見ると目を見開くからな
- フィリピンは原則のない国だ。
など、日本、フィリピンへの非難の声もあがっていたようですね。
フィリピン慰安婦像2回目の設置もすぐに撤去?
さてマニラの慰安婦像問題があった中、フィリピン・サンペドロ市に慰安婦像が設置されたと報道されました!

この慰安婦を象徴する「平和の少女像」の除幕式は2018年12月28日に行われ、韓国側の団体やサンペドロ市長らが参加しました。
しかし、12月28日に除幕式を行ったばかりの慰安婦像は2日後には撤去されることになります!
【慰安婦像】フィリピンに設置され2体目の慰安婦像もわずか2日後に撤去。
フィリピン人の反応→「撤去されて良かった」「日本は私達の友人」「比は歴史を悪用する中韓とは違う」「比の統治はスペインが300年、日本が3年」「極左団体ガブリエラの裏には中国がいる」「日本はいつも助けてくれる」— マエジーニョ (@Maejynyo) January 1, 2019
こちらはドゥテルテ大統領の指揮のもと、フィリピン政府がすぐに動いたようですね!
この動きにはネットでも多くのドゥテルテ大統領への賞賛の声があがっております。
スピード解決!ドゥテルテ大統領ありがとうございます!
— いと (@lilipond0130) January 1, 2019
https://twitter.com/sunakuzira/status/1080180028556472321
フィリピン慰安婦の真実は?
さて色々話題になりがちな慰安婦問題ですが、実際フィリピンはどのような被害を受けたのでしょうか?
私が調べた結果を簡単に記載します。
日本軍が、太平洋戦争中に1941年12月にアメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、マニラを占領、そして1942年1月3日から、軍政を握りました。
その際にフィリピン人の女性が日本軍に慰安婦として扱われたとされます。
マニラには、連合軍資料にある警察報告によれば、慰安所が12軒あったことが確認されております。
また、捕虜の供述によると、フィリピン人以外にも朝鮮人、中国人の女性がいる慰安所が5軒もしくは6軒あったとされているようです。
フィリピンもその後独立し、慰安婦問題についてはサンフランシスコ平和条約にて日本が賠償金をフィリピンへ支払い、1995年にも元慰安婦の女性にお金を支払っております。
しかし、慰安婦問題は中々簡単に解決するものでもないですね。
2017年1月にはフィリピンの元慰安婦らが日本大使館前でデモをしたり、慰安婦被害者団体は活動を続けております。
慰安婦問題については双方の譲れない意見があるので何とも解決の糸口を見つけるのが難しいとは思います。
皆が過去にケリをつけて未来に向かって歩んでいければ嬉しいのですが。
今回はフィリピン慰安婦像についての調査でした。
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